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天才的な防御技術は「父の平手打ちをかわしながら身につけた(笑)」世界王座獲得で天国の母に感謝、“アンタッチャブル”川島郭志の親子物語 

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前田衷

前田衷Makoto Maeda

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2024/04/26 11:00

天才的な防御技術は「父の平手打ちをかわしながら身につけた(笑)」世界王座獲得で天国の母に感謝、“アンタッチャブル”川島郭志の親子物語<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

現役時代、卓越した防御技術から「アンタッチャブル」の異名をとった川島郭志。世界王者となるまでに父の指導と母の献身があったという

 郭伸の指導法は俗に言う「スパルタ式」で、時に手が出るのも当たり前。のちに「アンタッチャブル」と呼ばれた川島の防御技術は父の平手打ちをかわしながら身につけた――というのは今になって郭志が口にする冗談である。

「アンタッチャブル」の由来

 ボクシングでは「打たせずに打つ」のが理想だが、日本のチャンピオンには攻撃に重きを置いたファイター型、ボクサーファイター型が多い。そんな中でボクサー型、特にディフェンスで魅了した最初のチャンピオンとなったのが川島である。「アンタッチャブル」と異名を取ったのは、相手のパンチを目と鼻の先でかわし、時に打たれたように見えても、顔を反らせて相手のパンチの衝撃を散らしたからだった。

 元々この「アンタッチャブル」はニコリノ・ローチェの専売特許だった。無類の防御技術を駆使して藤猛のハンマーパンチをかわしまくり世界J・ウェルター級王座を奪ったアルゼンチンの技巧派は、日本のファンに攻撃以外にもボクシングの魅力があることを知らしめた。川島はローチェと異なりサウスポーのテクニシャンだったが、テクニック重視のボクシングはローチェと共通するものがあった。

「三羽がらす」

 川島スタイルが確立するのはずっと後のことだが、中学生当時活躍していた5階級王者シュガー・レイ・レナードの華麗なボクシングに憧れ、オーソドックスのレナードを頭の中でサウスポーに置き換えて真似をした。高校生の試合では時にはノーガードでかわすなど、徳島のテクニシャンはアマの世界で注目を集めた。87年、海南高校3年生の全国高校総体でフライ級に出場し優勝。準決勝で鬼塚隆(勝也)を、決勝では渡久地隆人(後のピューマ渡久地)を破って優勝を飾っている。この鬼塚と渡久地、そして川島の3人はともに高校卒業後にプロに転向し、「三羽がらす」として期待を集める。川島もまた、鬼塚と渡久地に対しライバル意識を燃やしていた。

【次ページ】 出世レースから脱落

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