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敗戦後の伊藤美誠(23歳)は涙が止まらなかった…心身ともに苦しんだ選考過程、明かした葛藤「金メダリストが“五輪シングルスに落選するまで”」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2024/01/29 17:02

敗戦後の伊藤美誠(23歳)は涙が止まらなかった…心身ともに苦しんだ選考過程、明かした葛藤「金メダリストが“五輪シングルスに落選するまで”」<Number Web> photograph by AFLO

1月26日、全日本選手権6回戦で敗れ、記者会見で涙を流した伊藤美誠

心身ともに苦しんだ“選考過程”

 東京五輪で混合ダブルス金、団体戦銀、シングルス銅と3色のメダルを獲得。それから数カ月、新たな選考基準が設けられ年明けの2022年3月にはパリ五輪代表への選考レースがスタートした。

 東京五輪へ向けて、練習を含め濃密な時間を過ごしてきた。やりきった思いと疲労はあっただろう。だから他の競技では1シーズンなり一定の期間休養して復帰する例は少なくない。しかし卓球は異なる。しかも選考ポイントの累積で順位づけられ、ましてや従来のように世界ランキングではなく対象大会が国内外に設定されたことで息つく間もない。皆同じ条件とはいえ、東京五輪に柱として臨み、戦い抜いた伊藤には酷だった。

 それでも気力を奮い立たせ、パリを目指したが、心身ともに苦しんだ。2022年11月、選考会の1つ「全農CUP・TOP32」を6位で終えたあと、こう語っている。

「試合が多いのはよいことなんですけど、正直負担が自分にかかりすぎていて」

「練習できる日程があれば…」明かしていた葛藤

 休息を欲する以上に求めていることがあった。

「休憩したいというより、練習したいです。今は試合への(調整の)練習ばかりで、もっと満足いくまで練習できる日程があればと思います」

 ここからさらに進化、成長するための時間がないことが葛藤を生んだ。

 ランキングでは伸び悩み、さらに腰痛などにも苦しんだ。その中で、例えばベンチコーチを置かずに1人で試合に臨むなどさまざまな試みをするとともに徐々に成績をあげ、3位まで浮上して迎えたのが全日本選手権だった。

6歳で定めた「世界チャンピオン」の目標

 振り返れば、第一線に長く立ち続けてきた。

 最初にラケットを握ったのは2歳のとき。おぼろげな記憶しか残らないであろう年齢にあって、「覚えてます。卓球のことは覚えています」。

 幼稚園から小学校低学年の頃までは「長いときは8時間くらい」練習に励んだ。

「でもやめたいと思うことはなかったです。卓球が好きでしたし、世界チャンピオンになるという目標が6歳くらいからあったので」

 2013年9月、中学1年生のときに東京五輪開催が決まると、「東京で世界一になる、そのためにまずリオデジャネイロ五輪に出場する」と目標を定めた。

【次ページ】 同世代をリードし、主軸として戦い続けた足跡

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