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帝京サッカー“11年ぶりの全国”へ…同校優勝を経験したOB監督が進める改革、1つだけ変えなかった“伝統”とは?

posted2021/08/10 06:00

 
帝京サッカー“11年ぶりの全国”へ…同校優勝を経験したOB監督が進める改革、1つだけ変えなかった“伝統”とは?<Number Web> photograph by Takahito Ando

2015年から監督として帝京サッカー部を率いる日比威氏。四中工と同校優勝した世代ではキャプテンを務めた

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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Takahito Ando

 選手権優勝6回、インターハイ優勝3回――全国を制した9つの星とカナリア色のユニフォームを見れば、サッカーファンは真っ先に思い出すだろう。それが帝京高校だ。

 高校サッカー界を席巻してきた帝京は、これまで礒貝洋光、松波正信、中田浩二ら、数多くの名選手を輩出しながら実績を積み上げてきた。だが、2002年の茨城インターハイ優勝を最後に全国優勝のタイトルから遠ざかり、さらにここ11年間は全国大会に出場することすらできない状況が続いている。

 そんな帝京が全国の舞台に帰ってくる。

 6月のインターハイ東京都大会準決勝、1-2で迎えた後半アディショナルタイム。堀越高相手にラストプレーで執念の同点ゴールを叩き出し、勢いそのまま延長戦で逆転。劇的な試合展開で、悲願の全国切符を掴み取った。このニュースはすぐに話題となり、「古豪復活」の文字が躍った。

「帝京という看板は決して滅んでいません。帝京という歴史を築いてくださった指導者や選手の先輩方、何よりずっと支えてくれた学校関係者の存在があってこそ、今も帝京という名前は人々の記憶の中に残っていると思います。僕もその中の1人としての自覚もありますし、同時に帝京という看板にあぐらをかかずに、もう一度復活させたいと思っています」

 そう力強く語るのは、同校サッカー部の監督として就任7年目を迎える日比威(ひび・たけし)だ。長らく低迷を続けていた帝京は、日比監督による「改革と伝統継承」によって新たに生まれ変わろうとしている。

四中工との激闘、当時のキャプテン

 日比の名前を聞いて懐かしむ人はいるかもしれない。帝京OBである日比は、高3年時に出場した第70回全国高校サッカー大会(91年度)で、小倉隆史や中西永輔、中田一三らを擁した四日市中央工と歴史に残る激闘を繰り広げ、同校にとって2度目の両校優勝(2-2)となったチームのキャプテンである。

「あの決勝戦は僕の中では悔しさしかなかった。1-1になった同点ゴールはイーブンボールを僕が足で行ってしまったことで相手に奪われて、そのクロスから決められてしまった。後半終了間際にも中西にモモカンを受けて、延長戦は動きたくても足が動かない状況だった。キャプテンとして貢献が出来ないまま、勝ちきれなかったという悔しさがありましたね」

 記録にも記憶にも残る名勝負を演じた帝京だったが、ここから日比たちの無念を晴らす世代は未だ現れていない。90年代こそ3度の準優勝を果たすも、00年代に突入すると、全国大会でカナリア色のユニフォームを目にする機会は減った。前述したようにインターハイは02年茨城インターハイ、選手権では名古屋グランパスで活躍する日本代表MF稲垣祥らを擁した09年度大会を最後に予選敗退が続いている。

「僕らの代は7年ぶりの全国優勝だったのですが、その時ですらも『古豪復活』と言われた。そこからは全国で帝京の名前も聞かなくなり、もどかしい気持ちはずっとありました」(日比)

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